敬老の日を前に選挙制度を考えるの巻

今日ふと考えたのだが、国政選挙における一票の格差なんかを考えるとき、「そもそも全員に"1"票あるということが正しいのか?」という議論はないのだろうか。

というのも、20歳以上の人全員に1票あるというのは、ある種の機会均等を実現しているとは思うのだが、「何をもって均等とするか」という視点はほかにもある。これはぼくが今日考えた制度だが、例えば「人々の毎日の暮らしが平等であるように」という視点に立てば、平等・均等であるというのは、想定される残り生存日数に比例配分されるべきではないか*1

例えば、以下のような仕組み。

  • 選挙権は20歳以上というのは今と同じ
  • 20歳の人を1票とし、そのときの平均寿命か何かで票数を比例配分する。例えば、平均寿命が80歳なら、20歳の人は60年生きる分に対して1票なので、50歳の人は0.5票。ただし何らかの方法で最低票数は保証する。例えば65歳以上は0.x票、みたいに。90歳の人にも票数は保証される。
  • 子どものいる世帯は、子どもの権利を親が持つものとする。子どもが2人いる世帯なら、プラス2票とか。年齢で比例配分するなら、2.x票みたいに1人1票以上の価値を与えてもよい

細かいところはまったく詰めてないので突っ込みどころはたくさんあると思う*2が、こうした方が未来にやさしい社会にならへんかなぁ、と。たぶんこんなことを考えた人はそれこそ戦前の普通選挙運動のときのもいたのではないかと思うが、当時と違って今はICTが発達しているので、細かい計算はコンピュータくんに任せることができる。

どこかの何かの選挙で試験的にやってみたら、いろいろ気づくこともあってよさそうな気がしているが、今のところ日本の法律にはそういうことを実現する仕組みはなさそう、か。今週のはてなダイアリーのお題は「おじいちゃん&おばあちゃん、ありがとう」らしいが、題意からかけ離れた記事になってしまったかもしれない。

*1:死んだら全て終わりというわけではないが、一区切りがあるという立場で考えている

*2:例えば、票数を獲得したいがために孤児を養子にする、といったこともあり得る