どう生きるかについての考察

どう生きるか、とだけ書くと非常に深刻な問題のような気がしてくるが、ご推察のとおりこれは深刻な問題である。

どう生きるか考えた結果会社をやめた人間ではあるが、今後どうするのか漠然とイメージしつつも決めていないので、最近久々に本を読んでいる。本というと近年はコンピュータの技術書ばっかりだったので、何か新鮮な気がする。

だから、僕らはこの働き方を選んだ 東京R不動産のフリーエージェント・スタイル

だから、僕らはこの働き方を選んだ 東京R不動産のフリーエージェント・スタイル

これは東京R不動産の本。去年買って眠っていたのを取り出してきて先月読んだ。確か買ったときは東京R不動産というもの自体知らなかったのだが、最近は大阪や神戸のR不動産をちらちら見ている。

こんな風に働けたら面白そうだな、というのが第一感想なのだが、このようなフリーエージェントな働き方ができるのは、少なくとも不動産やさんという職業は、不動産というものを「基本的には1対1で」お客さんに売る仕事だからなのかなあ、と考えた。じゃあ自分が会社作ったらどうすればこんな感じになるか?と考えてみたのだが、ソフトウェア開発を生業としたときにどうなるのか、あまりイメージできていない。

もう一つ、地方で生きるというのも我々夫妻のキーワードである。キーワード、というと大げさだが、なんとなく、都心よりはちょっと落ち着いたところで暮らしたいと思っている。そして、ただ住むだけでなく、働きたいとも思っている。ということで、

いま、地方で生きるということ

いま、地方で生きるということ

も読んでみた。これを出しているミシマ社さん自体がある種「地方で生きる」というキーワードを実践しているところがある気がする。震災の影響もあって、現在京都の城陽と東京自由が丘の二段構えだそうな。

この本を読んで一番に思ったのは、「地方に引っ込むことは多分できると思うが、ただ引っ込んだだけだと何も生み出していないのではないか?」ということだ*1。もちろん「何かを生み出す必要があるのか?」という問題はあるのだが、ぼく自身の今のスタンスとしては、地方から何かしら世界に向けて発信していく必要、経済を活性化させる必要?を感じている。

ただ、ミシマ社のページを眺めていると

小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ

小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ

という本を見つけた。そもそも成長戦略というものが見込めない世の中でどうしていくのか、という本っぽいので、また読んでみる。

専門的に勉強をしてきていないし、してきていたとしてもわからないのかもしれないが、経済というものがどうもしっくりこないこの頃。テレビを見ていても、やれ消費税やらやれ原発再開やらと、報道されていることに対して何かコメントしろと言われればできるのだが*2、「そもそも論としてこれはこうこうなんですよ」という説明はぼくにはできないのが、少しもどかしい。

*1:この本に出てきている人がそうである、という意味ではない。少なくとも本になっている程度には日本社会に向けて発信されている

*2:コメントするだけなら、相手の言うことに対して何か拾って反論すればいいだけなので、比較的簡単だと思われる