納得学

納得学、という単語で検索したら特にめぼしいものはヒットしなかったので、そういう学問はないのだと思うが、いまここで立ち上げる。たちあがれ日本、たちあがれ納得学。

ぼくはそこそこ昔から公営ギャンブルが好きで、予想をはじめてかれこれ15年以上、最近は競輪を主戦場にしているが、なぜそんな儲かるかどうかわからんものに手を染めるのか?というと、ぼくの場合は「納得の行く予想をして、納得の行く投票をしたいから」ということだと最近気づいた。

ギャンブルはどうやっても儲からないのだから効用を高めるのが重要だ、と「効用」という経済学の概念を使って説明したのは谷岡一郎センセイだったと思う。どのような効用があるのかは人それぞれで、例えば「夢を見る」というのも効用の1つだ。宝くじの回収率は50%ちょっとで世界で一番儲からないギャンブルとして有名で、それに比べると(最近変化があるとは言え)競馬、競輪、ボートレースなどの公営ギャンブルは75%程度と、はるかに高い。それでもなぜ人々は宝くじを買うのかというと、1億円や2億円という金額に夢を見ることに、精神的な価値があると感じているからである。非常に簡単に言うと、これが効用。自分にとっての満足度、といった感じか。

そして、ぼくにとっての効用は「納得の行く予想をしたい」ということである。ぼくはギャンブルで儲けたいという気持ちはあまりない。せいぜい、平均して75%の回収率を100%近くにまでもっていけたらうれしいな、というぐらいである。まあ、チケット払って野球観戦するのに比べれば、楽しんでトントン弱ぐらいなら万々歳だと思っている。それよりも、用意された情報からコンピュータに計算させていろんな検討したら、プロの予想屋さん程度にはいい線いくのではないか、という自分の仮説を検証したいという気持ちが大きい。

現状、ふつうにレースをみて予想を人力で組み立てる程度では、納得のいく予想をするには1レースあたり1,2時間は平気でかかる。普段はそれを省略して、どこかで「エイヤ」とするのだが、そのエイヤをできるだけ小さくしたい。そうすれば、外れても納得がいく。ミスターパーフェクト予想と言われた鈴木和幸さんが、「結果が外れても、予想は当たった」という意味の名言を残している。この人はかなり丹念なデータ分析をする人なのだが、ぼくがやりたいのはそれにさらにビッグデータ分析をプラスアルファしたものに近い。

そんなこんなで「納得したい」ということを考えていると、結局人間は日常生活においても、納得したいという気持ちがかなり大きいのではないかと思うようになってきた。たとえば、民主党マニフェストが守れているとか守れていないとかいう話も、別に「文言を忠実に実行してほしい」と全員が思っているわけではなく、あれは「守れないなら守れないでよいが、それで納得のいく説明をしてほしい」ということなのではないか。どうすれば人は納得するのか、まあ認知心理学とかそういう分野の話にありそうだし、UXとかUCD界隈でも研究はされていると思うが、面白いテーマで、きっと死ぬまでそのあたりをぼくは彷徨っていると思う。安全学、があるのなら、納得学、があってもいいんじゃないですかね。

補足:こんな本があることを知ったので、あとで読む。

「わかる」と「納得する」―人はなぜエセ科学にはまるのか

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