承認フローの変革

ちょっとした書類出すだけでも、いちいち課長や部長に承認をもらわないといかん、という会社は多いと思う。しかも上長は忙しくてそれどころではなく、呼び止めるのもはばかられる。そして呼び止めたとしても、上長は文書の内容を即座には理解できず、ピントのはずれた質問をされ、時には本人にとってはなんとも理不尽な理由で申請が却下される。これがまだ紙ベースなら被害は少ないが、ここに残念な承認フローとなんとも使いにくいインタフェースの電子申請システムなんかが絡むと、もう明日爆発する!会社やめたる!と居酒屋で毒を吐くのがオチ。

こんなしょーもないことに、日々人間が、何千何万いや何億という人が悩んでいるというのが、世界の実情ではないかと思う。日本に限ったことではなく。

そして、これを何とかしたい、というのがぼくのSE経験から来たモチベーションであり、いろいろ周辺知識やコンピュータサイエンスの理論を勉強してはいるが、とどのつまりは、文書、広くは「記述」といったものを、適切に書けて、適切に運用できるライフサイクルを考えたいのである。

ちょっと話が広がったが、こういうことを考えるには、たとえば「承認」とはなにか、適切な承認とはなにか、ということを考えなければならない。東海道線で戸塚から横浜の12分で簡単に考えてみたところ、以下のようなことがわかった。

  1. 上司と部下、という人間関係に対して承認は発生する
  2. 平たく言えば、悪いことしようとした部下、あるいは出来の悪い部下がいたときに、上司がそれをブロックする、ということ。
  3. なぜブロックしなければならないか。それは、最終的に部下の不祥事は上司の責任だから。

要するに、階層構造が何段あるかは会社によるとして、ピラミッド型の会社構成が、こういう承認制度を作ったのだと思う。しかし、ぼくはこれは古いと思う。古いというか、ダサい。現実を適切にモデリングできていない。

以前このへんでもすこし触れたように、社会は集中型モデルから分散型モデルへと今後50年ぐらいで変化していくというのがぼくの予想である。そうすると、企業体というのも、ピラミッド型、ツリー型の階層構造はやめるということは必然的に想像できる。いまでも小さな企業ならやっているところも多いと思うし*1、大企業でもできそうな仕組みをうまく作れれば、普及すると思う。

じゃあなんでピラミッド型構造が普通になったのか、ということも考えないといけない。たぶん、紙しかなかった時代、あるいは紙すら貴重だった時代、あるいは戦争が日常的にあった時代の名残りなのではないかと思う。承認の柔軟化というのは、いわゆる軍隊的な統率とは逆で、各人に権限を付与し、その権限は濫用されない、つまりみんないい人だね性善説に立っている。

しかし、そこそこ平和が担保される21世紀、誰かの言葉を借りれば「はじめて戦って人を殺すことが悪であると認知された世紀」においては、ピラミッド型構造とそれに伴う承認フローはふさわしくない。本来は「申請する事柄によって、承認先は上下関係なく変化する」というのが正しいと思う。直感で、明確な根拠はないが、例えば前述のような「上司にとってはしょーもない申請でさえ、直近の上司に承認が必要」というのは、おかしい。

承認といっても、申請する内容によって重さは違う。原発最稼働の申請と、研究室の手洗い場の石鹸購入申請の重さはかなり違う。申請とまでいかなくても、だれか近くにいる友達に一応見てもらえばOK、というような書類もあると思う。そういった重さや、目的によって、「承認」という行為の価値は自由自在に変化する、という考えが、ぼくには比較的しっくりくる。

こういうシステムは、簡単とは言えないけれども、プロセスが変幻自在に進化発展する電子申請のワークフロー&文書管理システムを作ればいいのではないかと思う。文書の内容やメタ情報から承認先を自動選択する、なんてこともありそうだし、承認先候補が忙しいとか休暇中ならそれを代理承認にまわす、なんてことも、スケジューラと連携すればできる。既存のWebサービスの組み合わせだけでもできそうである。

結局のところ、承認するのは我々ヒト社会では人間で、ネコやアルマジロではない。だから、人間とは何か、もう少し狭くするならある組織の人間とは何か、ということをある程度分析し、形式的に定義してやらないとダメなんだと思う。だから、人間がなす「承認」という行為について、その背景と共に、いろいろ考えないといけない。

ちょうど総務省新たな取り組みをはじめて、いろいろ話題になってるみたいですが、このネタ面白い、木下は面白い、木下ならいけるかも、木下ハゲてるかも?、むしろヒゲ部?と思う方は他薦で応募してください。

*1:ぼくのいた会社もそんな感じだった