だらしない幻

先月平塚駅で、たぶん夕方だったと思うのだが、女子高生二人組が、あの、我々の青春時代もしくはそれの少し前に大流行した、だらしない靴下を履いているのを見た。
だらしない靴下、それは何というか90年代には女子高生という言葉とほぼ同義と思えるぐらい一世風靡セピアだったと記憶しているが、ぼくはそれを何年かぶりに見たのだった。
もしかして再流行の兆しでもあるのか、と勢いグ●グル先生にきいてみようかと思ったのだが、やめた。それは、下衆と引換に、だらしない靴下のだらしなさ、頽廃感が醸す抒情を失う行為の気がした。靴下さ、ルーズさ、ソックスさを失いたくなかった。
あの頃女子高生というのは年上の存在だったが、いつの間にか一回りも上になってしまった。女子高生と女子校生の区別を知るうちに、女子高生はいつのまにかJKになり、消費税は3%から8%になり、リフレリフレと騒がれ、あのだらしない靴下は徐々に姿を消した。
あれ以来、朝の平塚駅で女子高生を見るたびに靴下を見るという某容疑者すれすれの人生を生きているが、あのだらしない靴下にはまだ出会っていない。確かに見た、とおもうのだが、あれは幻か何か、だらしない人生はやめろという誰かのお告げ、もしくは足首を温める新手の健康法ではなかったかと思いはじめている。