ぼくとアンパンマンと、繰り返しの意義

娘(1歳ちょっと)の子守でアンパンマンをよく見る。妻のおとうさんに買ってもらったDVDが、ちょうどテレビ放送の第1話から第10話ぐらいをまとめたもので、それを何回も繰り返し観ている。なんべんも見てるとあきるんちゃうか?と思う人もおるかもしれんけど、意外とそんなことはなくて、むしろ面白い。

なんでかというと、基本的に、テレビというものをなんとなくダラダラ見る習慣がついているので、1回見たぐらいでは、結構きちんと見ていないシーンが多々ある。子どもと一緒だと、突然泣いたりとかハプニングが多いのでなおさら。そして、たとえ1回見ていたとしても、そのシーンの何を見るか、というのは結構深い。例えば、第1話でバタコさんは最初はトレードマークの帽子なしで登場するということに気付いたのはつい昨日のことである。たぶん10回以上見ていると思うのだが。

この「テレビは何度も見ると面白い」というのは今年度前半に単身赴任してたときにも感じていた。NHKウッチャンがやっていたコント「Life!」を、平均して1話あたり3回は見ていたのだが、コントも最初はただ面白いだけなんだが、何回も見ると「おお、ここメイクさんがわざと髪の毛飛ばしてるな」とか、そういうディテールが見えてきて面白い。

結局、マスメディアによる消費というのは「少人数がすごい気合いをいれて作って、大人数が特に気合いを入れずに消費する」というものだと思う。が、ここで消費する側が制作側ぐらい気合いをいれると、面白くなる。絵画でも音楽でも、料理でもなんでも、結局受け手がどれぐらい気合いを入れてそれを味わうか、なのだと思う。

そして今年もどっかで言った気がするが、何歳になっても、わからないことがわかるようになるというのは、面白いのである。アンパンマンもそうだが、いまやっている数学とかの勉強も似たようなもので、結局わからんもんは何回もやってわかるようになる、しか道はないように思う。