デジタル化される前の自分、クラウド化される前の自分

しばらく前から自分のサイトとかブログをやっている。かれこれ15年ぐらいにはなると思うのだが、そのうち今Web上に残っていてすぐに参照できるのは、2006年以降のものだけだ。2006年というとずいぶん昔のようだが、ぼくの大学5年目の年なので、それは感覚的には「最近」の域に入る。

もっともいろいろ悩んで悩んでセンチメンタルな生き方をしていた2000年代前半の記録というのは、現在は実家に置いてある当時の日記を読む、もしくはこのパソコンを全文検索すればいくばくかは出てくるのだが、そんなにすぐ出るところにはない。すぐ出るところにないからよい、ということもあるのだが。

この差異を「クラウド化される前後の自分」とするなら、さらに「デジタル化される前後の自分」というのもある。古い写真をさかのぼれば、父がフィルムスキャナでデジタル化したものを除けば、デジカメを買ったのが中2つまり1997年なので、その頃の写真はある。おそらく、高1ぐらいからなら、当時書いたものもデジタルデータとしてどこかに眠っていると思う*1

これから生まれる世代は、最初からデジタル化もされてるしクラウド化もされている、といった事象も起きるのだろう。もちろん人によるのだが。そういう意味ではぼくの人生も最初から電化はしていたと思う。JRのディーゼル車ではなく近鉄電車に乗る程度には電化していた。

*1:と思っていまこのハードディスクを検索したら1998年に友人とチャットしたログが出てきた、恐ろしい黒歴史開封したような気がして閉じた