わからないときは

何か物事がわからないときは、わかるところまで戻って、そこから始める。それしか方法はないのに、それを選べない自分の驕りのようなものを感じることがある。これを、自分が納得できる範囲でどれぐらい減らせるかというのが、どんな道でも成功する秘訣なのではないかと思う。

わからない自分を認めるということ。非常に簡単な理論ではあるのだが、なかなか心理的に納得できるものではない。ついつい、わかないままとりあえず進んでなんとなく表面的にものごとをこなしてオシマイ、ということをしてしまう。大学のよくわからん授業とかは、それで切り抜けていたような気がする。が、それでは身にならない。

もちろん、すべてを身に着けなければならないわけではなく、要所要所ここは重要というところをきっちりと理解して自分の身体性をともなった理解にしてゆけばよいのだが、あのときもっとやっとけばよかったなー、と思うこと多々。10年ぐらい前、そのときはそのときでいろいろと重要な問題を抱えて生きていたとは思うけれども、やっぱりもっと勉強しておけばよかったなー、という気持ちはある。その代わりに何を犠牲にすればよかったのか、とセットで考えないとただの望郷の念みたいになってしまうのだが。

これは10年前に限ったことではなく、現在でも言えることで、パフォーマンスを最大限にあげることと、集中すべきことに集中し、ほかを切り捨てること。そのへんのハウツー本にいくらでも書いてあることだが、自戒をこめて。