UXの向こう側

UXの向こう側にあるものを考えてみたい。

非常に大雑把にまとめると、UI(ユーザインタフェース)という画面の中での話が、UX(ユーザエクスペリエンス)として画面の外側に出てきた、というのがここ10年ぐらいの経緯で、特にここ5年ぐらいはそれが一般的なソフトウェア開発にも波及しつつある、という感じだと思う。多分にもれずぼくもその波にもまれ、GUIのWebアプリをやってた縁からUXには片足を突っ込んでいた。

画面の外側に出てきたというのは、つまりシステムが本当に良いかどうかはユーザの体験に評価を委ねないとダメで、そこを意識して開発しないといいものは作れない、という意味で、画面の外にいる人の気持ちまでデザインの対象になった、ということである。このあたり厳密な定義を引用していないので、あくまでぼく自身の今の理解での話である。

で、ここまで話が進むと「UXがよい*1システム」=「目指すべきシステム」なのか?という問題が出てくる。直感的にはそうであることが多いとは思うのだが、たぶんそうではないケースもあるというのが、今回考える「UXの向こう側」である。

例えば、あまたのゲームというのは別にコンプガチャがあろうとなかろうと、比較的UXを意識して作られたシステムであるとは思う。が、それが世間にとって本当に必要なものか。あるいは、人間の知的生産に貢献するものか。さらには、人類にとって有益な方向に向かうものなのか?となると、ちょっと難しい。

もちろんゲームの有効性自体を頭から否定するわけではない。結局のところ、UXを意識してうまく作られたシステムであるかどうかと、そのシステムが真に求められるものであるかどうかとは、直接的には関係がない、ということである。

もうちょっと例を出してみると、人生には「しんどいけれどもやっててよかった」的なことが時々ある。そのときはしんどいだけで「なんでこんなことせなあかんねん!」と思っていても、後々その有効性に気づく、というもの。こういうのを、ただ眼前のユーザの経験だけを重視して作るのは難しい。

別にUXという概念が矮小であると言いたいわけではない。ただ、UXというときのエクスペリエンスというのは、短期的なエクスペリエンスもあるし、長期的なエクスペリエンスもあるということなのだと思っている。で、この「長期的なエクスペリエンスの良さ」みたいなものを考えたシステムというのが、真に人間にとって「使いやすい」という域を超えて、翼くんや岬くんにとってのボールみたいなトモダチになるシステムなのではないかなあと。以上、雑感。

*1:UXに対して日本語でどのような形容詞をつけるのか難しいが、「高い」とか「良い」とかか?