限界集落の真実

限界集落の真実―過疎の村は消えるか? (ちくま新書)

限界集落の真実―過疎の村は消えるか? (ちくま新書)

図書館で借りて読んだ。著者は大学にいる社会学者で、長年この分野に携わってきた人。特に、弘前大学にいたので、東北特に青森県限界集落についてフィールドワークをしていたそう。論点としては以下のような感じ。

  • 限界集落という表現が使われだして20年以上経過した
  • でも、実は限界集落と言われていた集落で本当に消滅したものは、知る限りない
  • だから、限界集落という概念の定義自体を考え直す必要がある。特に、限界という言葉が先走りして与えるイメージには注意すべき
  • 集落消滅はしていないものの、人口が減ってきており、そろそろ危ない、という気持ちを持つ住人がいるのも確か
  • ただし、そういう集落であっても近隣に子らが住んでいるケースが多く、各集落民の自発的、主体的な取り組みで、縮小均衡的な維持が行われる可能性は十分にある
  • 国からの中央集権的な政策は各市町村や集落の主体性をそいできた面がある。主体的な取り組みを支援するような枠組みが重要である

中央集権的モデルから分散型モデルへ、というのはコンピュータの世界ではいろんな部分で起こっている変革なので*1ソフトウェア歴史学的予想からすると、今後日本社会にそういう変革が起こる可能性は高いと思う。ただ、どのような分散型モデルになるのか、というのはそれを推進する人の頑張りにかかっている。個人的には、分散型モデルを支えるようなソフトウェア技術というのがキーになると思っているのだが、それが具体的にどんなものなのかはよくわかっていない。

*1:たとえばSubversionからGitとか