語学は嘘をつかない
今日は学内TOEIC試験があった。なんとなく学内試験のほうが外で受験するより簡単な気がするのだが、だからといって点数があがるとは限らないのがTOEIC。前回の805を上回るかどうかは1週間もすればわかるらしい。
それはさておき、最近なんとなく思うのは「語学は嘘をつかない」ということである。
どういう意味でウソツカナイのかというと、
- やった時間だけ着実に伸びる*1
- 習得したぶんだけ、得られる成果として「他言語を話せる人と交流できる可能性」が間違いなく増える
ということだと思う。たとえば今日思わずポチッとしてしまったユーキャンの通信教育でいま1位なのは行政書士らしいが、行政書士の資格というのはあくまで資格なので、やっただけ伸びるというよりは、ある一定ラインに達したら100で達しなければ0というものであるし、行政書士になったからといってその後得られるものが保障されているわけではない*2。
研究室の同期のベトナム人留学生がどんどん日本語を習得していって、ついに日本語検定1級も合格したという。彼の努力家ぶりは誰もが認めるところではあるが、彼はその日本語を武器にして、英語をあんまり話せない日本人学生にもどんどん斬り込んでいく。そういうツールを獲得したというのは大きなことだし、語学のいいところは、一定ラインに到達しなくても、自分が習得したレベルに応じて何かしら応用ができる、ということだと思う。これは個人的な感覚にすぎないが、「こんな語学やってて意味なかったし!」という話はあまり聞かない。
自分自身の経験に即しても、たとえば大学の第2外国語だった韓国語は日常会話以下ぐらいしか話せないが、それでもソウルに行ってハングルのメニューしかないときとかでも何とかなる、看板は読める、といったメリットはあったし、インドにいったときも文字は読めたので、駅名に英語表記がなくても何とかわかる、といったメリットはあった。そういう、勉強した量に応じて何かしら享受するものがあるというのは、やりがいがあるし、ありがたいことだなあと、思う。留学生がいるうちにネイティブの中国語やベトナム語を学ぶのもよいかなあ、なんて思ったりする。