地図には価値があるということを、抽象的に

twitterを見ていたら、
http://d.hatena.ne.jp/kochizufan/20121009/1349800858
という記事をみつけた。そのなかで、

この機会に広くいろんな人に考えてもらいたいのですが、地図はただで作られているわけではありません。Google Maps APIがただで公開されて以来、まるで地図は情報を載せるだけの空気のように扱われてきましたが、iOS6地図の失敗?以来、地図作りの苦労を再認識する記事が注目を集めています。

という話があった。もともと地図帳を眺めるのが好きだった人間としては、GoogleMapsはこれだけで一升瓶一本あけられるぐらいの肴だと思うし、よくわかる。そして、伊能忠敬その人だけで映画もできるぐらいなのだから、とてもすごいことである。

で、ぼくが思ったのはこの「地図には価値がある」というのは決していわゆるGoogleMapsのような実際の地形を表した「地図」だけではなくて、どんなジャンルのどんな地図にも適用されるのだろう、ということである。ここでいう「地図」というのは、「何かしら情報を集積して、みんなにわかりやすい形で提供されるもの」という程度に抽象化される。「道しるべ」とでも言うべきか。

これぐらい抽象化すると、そもそもGoogleという会社がやっていること自体が、ある種みんなに向けて地図を作ることなんだなあと、きれいにつながる。あるいは別の例で言うならば、きれいにデータを収集してわかりやすい形で示した競馬新聞なんていうのも、ある種の「地図」である。これは地図で商売している例だろう。

この発想をさらに抽象的にしていくと、つまりは地図というのは何かしらの現実世界*1の事象を紙といったものの上でモデリングしたもの、ということになる。そして、「地図には価値がある」というのは、「何かしらの事象をわかりやすくまとめて、必要な項目をまとめあげて不要な項目を捨てるという行為には(金銭を払うべき)価値がある」ということになる。なるほど、全部ホントにそうかと言われると困るが、感覚には一致する。

ここで「わかりやすくまとめる」というのをがんばって自動化できないか、といった試みが、たとえばビッグデータのマイニングにあたる。結局話としては、「情報は価値があり、情報化社会となってその規模が大きくなった今、それは金銭に値する」ということか。

しかし、その割にあるものは無料であるものは有料であったり、そもそも金銭の流通というのがいろんなトレードオフのせいでややこしくなっているので、あたかも空気のように地図は無料だと思っている人もいる、ということなのだろう。

そして、地図に価値があるのは、「地図を使う人がいる」からである。社会とは、地図を使いたい人に地図を提供する営み、と思いっきりいろいろすっとばして定義しても面白い気がする。例えば「誰でもわかるプログラミング」だってある種の地図である。なんかとりとめもなく、オチもないですが、このへんで。

*1:別にドラえもんの世界でもいいので、現実というと少し語弊があるが、元の世界、という程度の意味