土地を愛する能力

ちょっと前に書いた記事をのせる。

最近奈良に帰ってきて気づいた。ぼくは奈良が好きだが、それは他の地域を嫌いで奈良が好きなのではなく、自分にゆかりのある地域はいつも好きなのだということを。

引越貧乏という言葉があるが、貧乏かどうかは別にして、最近かなりの頻度で引越しをしている。それぞれ、それなりに理由があって越しているのだが、少なくとも、その土地が嫌いで離れたということは一度もない。

 奈良はもちろん好きなのだが、大学生活を過ごした東京はずいぶんと歩き倒したし、文京区なら今でも細かい道までわかる(と思う)。横浜は横浜で新子安という微妙な場所にいたが、花月園競輪やら鶴見・川崎やら、地元の商店街やら、これも歩き倒した(ときには自転車)。目黒は目黒で何の縁もない土地だったが、気がつけば近所の銭湯にかよい、目黒不動にお参りし、うなぎ屋に並んで、さんま祭りに顔を出した。よく飲んだ。
 関西に移ってからも、福島という酒飲みには素晴らしい場所でたくさんのお店に行き、梅田や難波に自転車圏内という便利さを生かして遊び倒した。いま生駒に来てからも、時にはならまちに顔を出し、富雄や学園前という懐かしくも新しくもある場所を訪れ、生駒市高山町という奈良の最果て地域で畑を耕している。
 この次にどこに行くのかはわからないが、ぼくはきっとその土地を好きになろうとするだろうし、そんなに努力しなくても好きになるような気がする。なので、次にどこに行くべきかというのはあんまり考えず、そのときそのときの状況に任せればそれでいいのかなあと思うこの頃。
 あと、一時期は東京はもうすぐ大地震が起きるからイヤだなあとも思っていたのだが、関西も大した差はなさそうで、結局日本にいる限りはどこにいても地震に対する備えは必要なのだという当たり前の結論に到達しつつある。