「梅ちゃん先生」という水戸黄門

NHK朝の連続テレビ小説梅ちゃん先生」が先月末で終わった。堀北真希をヒロインに起用して、結果9年ぶりの平均視聴率20%超えということだから、番組としては成功と言ってもいいのだろう。以下にビデオリサーチ社のデータがある。
http://www.videor.co.jp/data/ratedata/program/02asa.htm

上のデータを見ると驚くのは、当時面白くないとかヘタとかさんざんに叩かれていた「まんてん」(宮地真緒)でも20%はあったということ*1。さらに叩かれていた「天花」(藤澤恵麻)でも16%ちょっとはあったらしい。これはNHKのドラマに限った話ではないが、近年のテレビ視聴率の凋落ぶりはすごいものだ。

さて、面白くないとかヘタとかという意味では、この「梅ちゃん先生」もぼくの周囲では評判がひどかった。「人物描写が平板」「ナレーションに腹が立つ」「これで脚本家が務まるのか」など。Yahoo!の某テレビ番組評価のサービスでは「海外から毎回楽しみに連続テレビ小説を見ていたのに、本当に悲しい」なんていう話もあった。ぼく自身も、序盤はほぼ筋の読める展開に「うー」とか「あー」とか苦しみながら観ていた。

これは前回の「カーネーション」との違いというのも大きかった。ヒロイン尾野真千子はじめみんな熱演で、父を演じた小林薫が「ドャアァ!」とちゃぶ台ひっくり返すシーンに我が事のように恐れおののいた人は少なくなかったのではないか。そんな小林薫宝田明(妻の父)の前では頭が上がらないし、主人公の尾野真千子も妻子ある男(綾野剛)と不倫関係に陥る。演歌の花道ではないが、「表もあれば裏もある」芝居だった。

ただ、ぼく自身は「梅ちゃん先生」を途中から結構楽しく観ることができた。それは「これは水戸黄門なのだ」ということに気づいたからである。

水戸黄門。それは一種の定型美である。どこかの町に越後のちりめん問屋が来て、事件が起こり、お銀は風呂に入り、八兵衛がうっかりしたりするが、最終的には助さん角さん懲らしめてやりなさい→ちゃんばら→印籠 めでたしめでたし、というものだ。小学生の頃かなり好きで毎回見ていた*2。ここで描かれる黄門様一行は、決して悪にはならない。そして視聴者はその安心感を持って1時間を楽しむ。

梅ちゃん先生も、このパターンなのだった。1週間でちょっとした波乱が起きても、梅ちゃんは徹底的に「いい人」「ドジ」であり続ける。父の高橋克実は徹底的にお堅い人だし、夫の松坂桃李は無邪気、夫の父である片岡鶴太郎は東京方言で軽口を叩く。そして土曜日には平和が訪れる。ここに描かれている世界は、現実の役者を使っているけれども、ある種の理想の世界、実際には起こるいろんな難しいことや苦しいことを一旦棚に上げた世界なのだった*3

ポイントは、「そう思って観ないと楽しくない」ということである。人情の機微みたいなのを期待して「梅ちゃん先生」を観てもつまらないし、安定的な平和を求めて「カーネーション」を観ても楽しくない。問題は、それらが同じ「朝の連続テレビ小説」という枠組みの中で提供されたということである。次の番組が水戸黄門なのかどうかは、誰も教えてくれない。だから、水戸黄門であるかどうかを最初の何回かで察知し、素早く自分のなかでのスイッチを切り替えるような、そういうスキルが求められているということになるのだが、そんなのを視聴者に要求するテレビとは何様なのだ、という文句はあってしかるべきだろう。

*1:宮地真緒が好きだったので見ていたのです

*2:当時の黄門様は佐野浅夫だった

*3:もちろん多少の難しいことは起こるが、それは翌週には繰り越されない