相撲がオリンピック競技になるには

週末にNHKでヨーロッパ相撲選手権の特集があり、おなじみ刈谷富士雄アナと音羽山親方(元大関貴ノ浪)が出向いて、実況と解説までやってくれるというマニア垂涎の番組だったのだが、元レスリング選手が次々と相撲に転向しているという話を聞いて、相撲はオリンピック種目にいけるのではないか?という気がしてきた。

というのも、相撲にはサッカーが持つような「ルールの単純さ」「見ていてわかりやすさ」という、世界に普及するための一番大事な要素を持っていると思うのである。ぼくは小さい頃から相撲が好きなので、多少の贔屓目はあると思う。でも、オリンピックのレスリングを見た直後であれば、少なくともレスリングよりは相撲のほうがぱっと見てわかりやすい、というところには同意していただけるのではないかと思う。コケたら負け、というのは、柔道よりもさらにわかりやすいとさえ思える。

あれは「まわし」という装備がルールを簡素化させた例だと思う。いま勉強している論理学でも、論理体系の組み立て方には2つのパターンがある。

  • 無条件に正しいと認める公理を最小限にして、推論規則をたくさん作る
  • 無条件に正しいと認める公理をたくさん作る代わりに、推論規則は最小限にとどめる

このうち「公理」を(スポーツにおける)「装備」、「推論規則」を「ルール」と置き換えると、前者がレスリングで、後者が相撲になるのではないかと思う。そもそも人間の動きというのは無限にある中で、スポーツというのは何かしら制約をはめた中で行動するものだと思うが、それにも2つの方向性があるということだ。これにあてはめると、装備もルールも複雑な野球は、世界的に普及するための条件を備えていなかったのかもしれない。まあ、いま考えついた理論なので必ずしもすべてのスポーツにあてはまるわけではないと思うが・・・

ただ、そもそも相撲はスポーツではなく武道であり国技だ!みたいな意見もあるのは承知である。それを含めて、オリンピック種目になるための条件をいくつか挙げてみる。

  • 相撲ではなくsumoとしての規則整備(まげは不要、まわしの下にパンツありなど)
  • 各相撲部屋における外国人選手の人数制限撤廃
  • 親方が各国でコーチとなり、相撲普及活動を行う
  • プロ競技として活躍できる国が日本以外に何か国ができる

あと、微妙なところではあるが、「同体」「死に体」という概念も捨てなければならないと思う。それらは、柔道がjudo、剣道がkendoになるために捨ててきたものと同じ匂いがする。

さて、挙げれば挙げるほど、ぼくが生きている間には無理ではないかという気もしてくるのだが、悲観はしていない。貴乃花親方あたりがうまいこと相撲協会を変革させてくれれば、可能性はなきにしもあらずではないかと思う。これはスポーツに限った話ではないが、国内需要が行き詰まる今、海外にいろんな可能性を求めるのが一番有力だと思う。それが、半ば死に体の大相撲が生き残るための「うっちゃり」ではないか。